瀕死の体で入稿してきました。不備がなければMP18当日卓上に並ぶ新刊のサンプルです。
ジョンが観念してシャーロックへの思いを認めるまでの紆余曲折。二人とも女々しくてつらい。探偵が童貞力を遺憾なく発揮。
※サンプルには含まれませんが、極僅かに性的描写を含むためR18です。
BBC SHERLOCK S/J
文庫サイズ/P36/300円(予価)/R-18
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どうしてこうなった。
暗くなった週末のロンドンを歩きながら、ジョンは頭を抱えて蹲りたくなった。実際にそんなことをしたら不審極まりないので想像だけに抑える。周囲には仲睦まじい夫婦やらカップルやらがあふれていて、一人きりで歩いているのがいやに惨めに感じた。
原因は明白。つい先日付き合い始めたばかりの彼女に別れを切り出されたのだ。所謂恋人同士としてお付き合いを始めてほんの一週間しか経っていない。
パート先の病院で受付をしている、柔らかな笑顔が魅力的な女性だった。緩くウェーブのかかったブロンドが笑うたびに肩先に触れる。しかしその魅力的だったはずの笑顔を曇らせ、週末の、それこそカップルがあふれるレストランでジョンに別れを告げた。
曰く、「あなたが求めているのは、私じゃないみたい」。
「僕が何したって言うんだ!」
飲み干した缶ビールを実験器具の散らかる机に叩き付けた。力の入れすぎた缶はべコリと凹み、ガチャリとフラスコが揺れて音をたてる。いくらか缶に残っていた液体が飛び跳ねて机を濡らしたが、些細なことを気にできるような余裕はいまのところない。
「この別れ文句何度目だ。誰も彼も『求めているのは私じゃない』?そんなことないさ、僕は付き合ってる女性に対していつだって一途だ。そうだろう!」
冷蔵庫から新しい缶ビールを取り出しながら一人がけのソファーに腰かける。腰の後ろでユニオンジャックのクッションが存在を主張していたが今夜は無視して、プルタブに指をひっかけ一気に呷る。
「そうだな、君はいつだって一途だ、とでも言って欲しいのか」
隣から思いがけず答えが返る。いつものように三人掛けクッションに仰向けで体を投げ出し唇の前で両手を合わせていたので、てっきり精神の宮殿に旅立っていたとばかり思っていた。よしんば精神の宮殿に引き籠っていなかったところで、自棄酒を呷るジョンの相手をするとは到底思えなかったのだ。
「なんだ君、精神の宮殿に行ってたわけじゃなかったの」
ジョンの問いに答えることなく、軽く息を吸うとお得意のマシンガントークがジョンを襲う。
「しかし、君は彼女に振られたと言って、一週間後には新しい女性と待ち合わせして出かけているじゃないか。これは果たして一途といえるのか。君とハドソンさんが気に入って毎週見ているくだらないドラマでは、一度や二度振られただけじゃあきらめない主人公のことを『一途』と表現していたのだと思っていたが、違ったか」
「そりゃあ、あれも『一途』だけど。僕だって、付き合ってる最中は彼女しか見ていないし、浮気だってしない」
「だったらそう言えばいい」
「言ったさ!言ったけどだめだったんだよ!」
心底どうでもよさそうな表情を浮かべるシャーロックを横目に、もうどうしたらいいんだ、とソファーの上で膝を抱え小さくなる。
そうだ、ジョンは自他共に認める程度には誠実な男のはずだ。シャーロックに言った通り、交際期間中は極力彼女を優先するし、浮気もよそ見もしない。たまに美人でグラマラスな女性を眼で追ってしまうけれど、これは女性がティファニーでプラチナのリングに目を輝かせるものと同じようなものだと考えていただきたい。
つまり、ジョンは無実だ。
「何度も言っただろう、僕の助手に徹すればいい」
「何度も言っただろ、答えは『NO』だ」
顔を覆ったまま、間髪いれずに返す。そんなジョンの態度にシャーロックがむっとするのが気配でわかる。クッションの軋む音に、わずかに顔をあげるとシャーロックがすっくと立ち上がってジョンを見ていた。眉間には不満であるという自己主張をわかりやすく示す皺がくっきりと刻まれている。
おもむろにジョンの腰掛けているソファーの前までくると、長身を屈めて両腕を使いジョンを囲い込むように両の肘掛に手を置く。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、視線が外せない。
「シャーロック、」
「いいか、君はいつも彼女に振られたと言って帰ってきては自棄酒を呷る」
いや、自棄酒を飲んでから帰ってくるほうが多いな、と自らの言葉を訂正する。
「しかし、その晩から一週間と持たずに新しい彼女を作っては同じことを繰り返している。はっきり言って時間の無駄だ。原因を考えたことはあるのか」
「…もちろんあるさ」
自分は無実だと呪文のように身の潔白を訴えながら、その実原因は大体察しが付いていた。
「だから最近は出かけるときに携帯の電源を切るようにしている」
「そのせいで結局女性と一緒にいても携帯を気にして落ち着かないわけか。これで原因がはっきりしただろう」
「なにが」
「君が、最優先にしているのは、付き合っている女性なんかじゃない」
デートの最中も容赦なくなり続ける電話の発信先は、ジョンの不実を非難するように見下ろす同居人。
「僕だ」
鳴りやまない電話と、その呼び出しを断れない自分。
「いい加減に認めたらどうだ」
「…なにを」
屈みこんでジョンを見下ろしてはいるが、高い位置にあるシャーロックの顔を見るには首筋が悲鳴を上げる。それなのに、かち合った視線を逸らすことができない。
「君が、僕を、」
残りの言葉はジョンの耳に滑り込んでいたのだろうか。
それとも互いの口に吸い込まれて消えていったのか。
ジョンの手から力が抜けて、中身の残った缶が滑り落ちる。みるみるうちに床に染みが広がっていくが、そちらに意識をやる余裕も、今のジョンにはなかった。
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